ちいさな小さなプロジェクト②
前投稿からの続きです。
そう遠くない昔でも、薪を拾うのも子供の役目やお手伝いのひとつだったり、山に入ることも多かったそうです。昔の話を教えてもらうまで知らなくて、驚いたことも色々ありました。山が活用されていて、何をするにも「自分達で」という昔の常識の話を教えてもらえたのも、こうして雑草取りをしたおかげだと思いました。
さてさて、草刈りの続きです。途中からススキのような見事に成長した植物が道をふさぐ場所が出てきました。季節的に茅の輪を思い出し、昔はやっぱり自然の物を色々こうして活用したんだなぁと思いながらの作業。
どこが今回のゴールなのか全然前が見えない状況でしたが、途中からなぜかヨモギが出てきたりこれまでとは何か違う雰囲気に。大きな石が出て来たので、もしかしたらもうすぐ祠?!そういう期待が高まりました。少し進んだら、やっぱりまた生えてる植物に変化が。
ありましたー!!
見事に雑草だらけ(笑)だけどたどり着いたら、祠の所に新しそうな白い紙が。詳しくなくてお恥ずかしいですが、紙垂(しで)って言うんでしょうか?神様の所にある白い紙。誰かが定期的に来ていると思いました。雑草もずっと伸びっぱなしだったのではなく、前回からの植物の成長のすごさでここまでなっていたのかもしれない。
平均年齢70くらいの「女子」3人での山の草刈りになりました。祠までの道が出来たら、持って来て下さった飲み物と手作りのキュウリの漬物で一休み。青空を見ながらの贅沢な時間!いい経験をさせていただきました。
途中から目線の高さに続いた草だらけの状態。だけど自然で目になじむ綺麗な緑色。水分補給で振り返ったら道が出来ていました。終わりが見えないと思っても、進んでいたら道が出来ている。官足法の足もみにも通じるものがあると思いました。明日の笑顔のために今日いい足もみをする。その繰り返しで過去があって道が出来ている。
作業の翌日には、これまで通っていなかった部分にまで血が巡っている感じがして、背筋が伸びて心地よく、普段どれだけ大きく体を使っていないのかを実感しました。昔の人は本当にすごいと思います。
草刈りをした日の夜には、翌日に疲れを残しにくくするために足もみが欠かせません。筋肉痛の予防にもなるので役立っています。
意味があるのか無駄なのかもわからなくなるくらい、ちいさな小さなプロジェクトごっこ。時間的な余裕があったおかげで思いついてから5~6回は山の草刈りを実行しましたが、これからどうにか続けていけるように頑張らなければという感じではあります。変な義務感を持たずに、勢いだけで終わらせないように考えていかなければの気持ちも。
ただ草を刈りたいんだと思う人がいたり、バカみたいで意味がないからもっと大きな事をすればと思う人も立派な大人の中にはいるかもしれない。小さな変化からちっちゃい波がちょっと発生して少しずつ少しずつじわじわ広がって大きな波になって変化が生まれたら。この感覚をわかってくれる人がいたら嬉しいなぁと思います。
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